巻
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緒言
おもろさうしの現代日本語訳・英語訳のネット公開から1年がたちました。この間、おもろさうしの原文がどのようなものか是非見てみたいという問い合わせが多数ありました。海外の沖縄県人会からも同様の問い合わせがありました。現在、ネットでおもろさうしの原文をみることはできます。国立国会図書館のデータベースに、伊波普猷校訂のおもろさうしがあります。残念なことに第8巻までしか見ることができませんが、これは原文通り、漢字がほとんどないひらがなのおもろさうしです。「おもろさうし」テキストデータベースではおもろさうしの原文をすべてみることができますが、データが圧縮され、すこし煩雑な感じで、研究者には便利かと思いますが、あまり一般には向いていないようです。とくに、文中に「又」の字が頻繁にあらわれるのが気になります。このデータベースは原文を読みやすいように、ある程度漢字に書き直したもので、これが原文だと思って沖縄県立博物館の尚家本おもろさうしを見るとなんか違うではと思ってしまうかもしれません。ひらがなを漢字に改めるということは、それ自体が解釈であり翻訳です。「おもろさうし」テキストデータベースは現在のおもろさうし研究のある程度の到達点だとおもいます。ひらがなを漢字に改めるということがいかに困難で長い道のりであったかは、漢字のほとんどないおもろさうし原文をみればよくわかると思います。もし私にひらがなだけのおもろさうし原文から日本語訳・英語訳をしてみろと言われてもそれは全く不可能なことだったと思います。先人の努力に感謝するばかりです。原文を漢字に書き改めたおもろさうし、日本語訳、英語訳されたおもろさうしがネットで存在する現在、漢字のほとんど使われていないひらがなのおもろさうし原文が、ネットで公開されてもいいのではと、今回の転写に取り組みました。原文を活字になおすだけですから、それほど時間はかからないであろうと思っていましたが、意外に時間がかかってしまいました。いくつかの問題点にぶつかりました。まず第一は、ほとんどひらがなだけで書かれているとは言え、そのひらがなは、現在われわれが使っている一音一文字のひらがなとは違い、多くの変体仮名が使用されています。これをどうするかということですが、そのまま変体仮名を使用すると、一般の方には、判読が非常にむずかしくなります。当たり前の結論になってしまいますが、現在使用しているひらがなを使用することにしました。厳密にいえば、この段階ですでに原文とは言えないのではという疑問が生じます。そこまで言いますと、原文は毛筆手書きで縦書きです。これを活字の横書きになおすとその時点で原文ではなくなるのではとも思えます。表題に「おもろさうし原文」と掲げるのが非常に心苦しくなります。おもろさうしの原本は1709年、首里城の火災で焼失しました。琉球王府は、残っていた具志川家の写本から二つの写本を作成し、一つは尚家が、一つはおもろ主取りである安仁屋家が保管することにしました。残念ながら、そのもとになった具志川家の写本は現在は存在しません。私が転写することにしました「仲吉本おもろさうし」はこの安仁屋本の写本の写本を写本したものです。この「仲吉本おもろさうし」をとりあえず、「おもろさうし原文」とすることにします。仲吉本は写本された時期が比較的新しく、文字自体が鮮明です。現代的な書体です。「仲吉本おもろさうし」をできるだけ現代の方々に読んでいただけるように再現することにしました。第二の問題点は、仲吉本には多くの誤記、誤写があるということです。間に何人もの写本者をはさんでいます。誤写があるのは、やむを得ないことです。この誤記、誤写をどうするかという問題です。おもろさうしはすでに多くの先人によって校合、校訂がおこなわれており、それを借用することもできますが、それは、著作権にかかわることですので避けることにしました。また私自身が、校合、校訂するには、膨大な時間がかかってしまいますし、実際にそれを成し遂げたとしても、先人の立派な校合、校訂が存在する現在では、屋上に家を建てるのと等しくなってしまいます。たいへん申し訳ないことですが、「仲吉本おもろさうし」の写真版をそのまま、転写することにしました。申し訳ないことであると同時にそれは、古典の写本そのものがどういうものであるかということを気づかせてくれ、また、他の写本と比較してみたいという意欲にもつながることだと思います。それから「おもろさうし」そのものへと関心がつながればと思います。なかには、「う」に濁点が打ってあったりもしますが、なにしろ、原則をつらぬいて、すべてそのままにしました。可能なかぎり原本に忠実に転写しましたが、やむを得ない点もいくつかあります。たとえば、二文字以上を繰り返す場合の記号ですが、これは横書きですの使用しないことにしました。「きみきみ」、「のろのろ」などです。一文字の繰り返し記号ですが、これは、全体の約三分の一に相当する512までは使用し、以後は全く使用しておりません。「もも」、「てて」などです。なお、変体仮名につきましては、全体の1パーセントに相当する15までは使用しました。おもろ原文の雰囲気を味わっていただければと思います。つまりだんだんと現代的な書き方に近くなっていくということにしました。原本は毛筆手書きです。一行の長さはもちろんさまざまですが、原本では、できるだけ一行の長さをそろえ、見た目をよくしようと努力しています。結果として見た目では、全体が活字本のようにきれいにそろってみえます。そのため、一行の文字数が多い場合には、極端に字を小さくして書いたり、文字数が少ない場合には、字を大きく書いたり、あるいは意味に関係なく、文字の間をあけたりしています。文字数が多い場合はそのまま転写すればいいのですが、問題は意味に関係なく間をあけている場合です。転写者がそれを勝手に詰めて書いたりすれば、それ自体が一つの解釈となってしまい、転写とは言えなくなってしまいます。妥協点としまして、巻8までは、原本にできるだけ忠実に、意味に関係なく文字と文字に間がある場合には、そのまま転写しました。巻9以後は、これも意味に関係なく「、」と「、」の間はすべて詰めて転写しました。そのため読みづらい箇所がかなりあります。原則をつらぬくと、結果として、意味がとりにくくなってしまいます。しかしながら、意味を考えながら間をとると、これは解釈となってしまいます。解釈はすでに現代日本語訳でなされています。今回は、転写が目的で、校訂はしないことが原則ですので、原則をつらぬくことにしました。転写しながら気づいたことですが、写本者もおもろの意味をあまり理解していなかったのではないかと思えることです、意味が分かっていれば、こういうところでは「、」を打たないだろうと思われるところに「、」があったりします。また写本のさいに、本文の文字だけをさきにすべて書いて、あとから順番に朱で点を打っていった巻がほとんどです。なかなか合理的でおもしろいと思いましたが、原文の意味を理解していないためか、間違った場所に点が打たれているのではと思われる個所がかなりあります。ところで、この「、」は一体の何を意味するのでしょうか。どうも意味の切れ目ではなさそうです。単語の中に「、」があったりします。これは私の推測になりますが、朗誦のさいの、切れ目、あるいは、間、だったのではないかと思います。筆者は朗誦者が間をあけるごとに「、」を打ったのではないかと思います。つまり、「、」と「、」の間は、一気に朗誦されたのではないかと思います。
その他、転写をしながら、気づいた点をあげておきます。まず第一に、おもろの筆者は、朗誦者の発音通りに忠実に書き取っていたかということです。どうもそうではなさそうです。琉球語の母音の発音はおもろの時代には、すでに「あ」、「い」、「う」の三音へと移行していたか、あるいは、移行途上にあったと思います。おもろの筆者はそれを書き写す場合、三音の母音を間違ったものとして、あえて、正しいと思われていた五音の母音に書きなおしていたのではと推測できます。1005に、「大ころ」、「大こる」と書かれています。これは、朗誦者の発音が、「う」と「お」に揺れていたか、あるいは、「る」と発音していたものを筆者が「ろ」と書きなおしたものと推測できます。その他、同じ言葉なのに、「かほう」と「かふう」、「くもこ」と「くむく」などがあります。これも実際の発音は、現在の琉球語とおなじように、「かふう」、「くむく」と発音していたと思います。逆にもともと「う」と発音すべき母音を、「お」の母音に書き直している個所も見えます。例えば、うりずんで有名な、「おれつむ」ですが、これは、994では、「おれつも」と書かれています。朗誦者が「む」と正しく発音したものを、わざわざ「も」に書き直したものと推測されます。実際の発音を正しく書き書き改めようとするのは、人間の普遍の性質のようです。現在テレビをみていると、字幕が頻繁に出てきます。実際の話者は「ら」を抜いて発音しているのに、字幕には「ら」がしっかりと書き加えられています。話者が「食べれる」といったものを、どうして、「食べられる」と書き直す必要があるのでしょうか。百年もしないうちに、「食べれる」が正しい日本語になっているかもしれません。琉球語は母音が3音になり、そしてそれが正しい琉球語となったのです。人間というものは、他者の実際の発音を自分が正しいと考えるものに書き直そうとする習性があるようで、これはおもろの時代も同じであったと推測できます。したがって、おもろさうしに書かれた発音通りにおもろの朗誦者が発音していたものではないという推測が成り立ちます。母音はすべての発音にかかわる重要なことですから、おもろさうしの五母音を三母音に書き直すと現在の琉球語にかなり近づくことになり、また、意味も理解しやすくなると思います。実際私自身は、おもろさうしを読む場合、すべてを三母音に直して読んでいます。伊波普猷もそうだったそうです。また、伊波普猷が聞き取ったおもろ主取の発音もそうだったそうです。第二に間違えやすい文字についてです。ひらがなの、可(か)、る、り、は、小さく書くと非常に似ています。写本者も書き取りの際には随分迷ったのではないかと思います。この三文字の写し間違いがかなりあります。写本する人が迷いながら書いた文字ですから、読むほうはもっと迷ってしまいます。「ろ」と「ち」、「ら」と「う」も急いで書くと、ほとんど区別ができません。二文字以上の繰り返し記号は小さく書くとひらがなの「く」と全くおなじです。第三はおもろ語についてです。おもろに使われている言葉を、一般の人が使っていたとはどうも思えません。おもろさうしはおもろ語と呼ばれる特殊な言葉によって詠まれたものだと思います。最近のワープは大変便利で、ある語句を書き込むと、ちゃんと記憶してくれます。たとえば、「き」と入れただけで、「きこゑ、大きみきや、」という候補がすぐに出てきます。「と」と入れると、「とよむ、あんしおそいや、」が出てきます。「た」を入れると、「たなきよらは、おしうけて、」。「け」を入れると「けおの、よかるひに、」などです。おもろさうしには、このような決まり文句が頻繁に登場します。決まり文句を全く使わないおもろの数は全体のどのくらいになるでしょうか。決まり文句を全く使わないおもろは、他と比較してたいへん目立ちます。たとえば、534、996などです。この2歌は一貫して独創的でとても秀逸な作品だとおもいます。ほとんどのおもろの創作者は、まったくオリジナルなものをつくるのではなく、すでに存在するおもろを模倣して、決まり文句をいくつか使いながら、全体の何パーセントかに自分の創作を付け加えるというふうにおもろを作り上げていったのではないかと推測します。付け加える創作部分は、模倣したおもろの言葉に合わせざるをえません。そうしなければ、全体の統一がとれずに不自然なおもろになってしまいます。その結果としておもろ独特のおもろ語というものが出来ていったのではないかと推測します。これだけの歌数があって、作った人も多数、作られた場所も多数でありながら、全体的に言葉が共通化、統一化されているのは、大変不思議な現象です。中には、おもろ語とは違う、いわゆる俗語とおもわれる言葉でつくられたおもろもあります。たとえば、492、729、730、731などです。当時の一般の人々はだいたいこのような言葉を使っていたのではないかと私は推測します。おもろを採集する側でも、このような俗語を使ったおもろは除外しようする傾きがあったのではないでしょうか。以上、おもろさうしがおもろ語と呼ばれる言葉で書かれていることについて述べました。
なお、私の日本語訳、英訳おもろさうしは、「おもろさうし原文」からの翻訳ではなく、外間守善著、岩波文庫「校訂おもろさうし・上下」からであることを明記します。ここでも、あらためて、故外間守善氏に感謝申し上げます。
〇 巻1の1から15までに使われた変体仮名は以下の通りです。
王→わ 者→は 爾→に 可→か 志→し 多→た 里→り 連→れ 満→ま 本→ほ
三→み 屋→や
〇 原文ですから、省略することなく全文をすべて転写しました。ただし、原文では本文の横に小さく注釈が書かれていますが、これは省略いたしました。この注釈がなければ、おもろさうしの解釈がかなり困難なものになったと思います。まことにありがたいことです。この注釈とおもろさうしのロゼッタストーンといわれる混効験集が、おもろさうし解読に大きく貢献しました。また、原文にはおもろさうしを朗誦する際の節(ふし)の名前が書かれていますが、これも省略いたしました。
〇 重複した部分がある歌は( )で示しました。私の日本語訳、英語訳は、重複歌が省略されていますので、参考になさってください。省略された箇所は英訳と日本語訳では違う場合があります。私の英訳は、日本語訳を英訳したものではなく、「校訂・おもろさうし」を英訳したものだからです。
〇 通し番号(シリアルナンバー)は書いておきました。この通し番号はおもろさうしを読む際には大変便利で、万葉集の国家大観番号とおなじようなものです。原文にはもちろんありません。したがいまして、アラビア数字を除いた部分がおもそさうしの原文です。